「ふじ学徒隊」という映画

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ドキュメント映画「ふじ学徒隊

この映画を見にいってきました。
どんな映画なのかというと、
1945年の沖縄戦の時に、看護学徒隊として戦場へ派遣された、
積徳高等女学校の方々の当時の証言を集めた記録映画なのです。

1945年4月に18万人の米兵が沖縄に上陸。
後方支援の部隊を入れると50万人以上という大軍がこの島を襲ったのでした。
つい最近の話として、イラクに駐留した米軍の数は16万と言われているので、
それ以上の戦闘部隊がこの小さな島に上陸してきたということは、
いかに酷い戦争であったかということが想像できます。
イラク国土全土で16万に対し、沖縄本島だけで18万ですからね。
どちらの戦争も戦争ですから悲惨極まりないのですが、数の比較のため、
あえて出させていただきました。

その沖縄戦当時に、積徳高等女学校の高校生たちは、
傷病兵の手当てをするために、豊見城跡にあった野戦病院に派遣されました。
米軍が上陸してからというもの、日増しに増えていく負傷兵の数、不足していく薬品類・・・毎日続く艦砲射撃

その後、後退命令で糸満市の糸州の壕に後退し、そこで解散することになります。
ですが、積徳高等女学校の高校生たちは、米軍の捕虜になって生き残った方々が多いのです。
それは、山部隊第2野戦病院の隊長をしていた小池勇助少佐によるところが大きいのです。
小池隊長は、解散日に高校生を集め、
「今まで軍の仕事をしてくれて感謝しています。負け戦なら君たちを連れてくるのではなかった。本当に申し訳ないことをした。最後の命令は生きて親元に戻ること。そしてこの戦争のことを後世に伝えるように」
という意味の最後の訓示を行いました。
それが6月26日ごろであり、地上戦も幾分か落ち着いたころであったためか、
積徳高等女学校の生徒たちは捕虜になって生き残ることができた方が多かったのでした。
25名中3名が惜しくも戦死されましたが、他の学徒隊からすると生存率は高かったのです。

こうした内容が50分のドキュメントに凝縮されていて、
見ている者の心を動かすことになるのです。
いかに沖縄戦が悲惨であったのか、もう戦争などしてはいけないのだと訴えかけてくるのです。
そんな映画でした。
生き残った、おばあたちも、もう80才を越えて高齢になってきています。
今のタイミングで、この映画ができた意義は大きいのではないかと感じました。

なお、8月11日から17日まで、
ふじ学徒隊」が
東京・渋谷のアップリンクで上映されます。
詳しくは⇒ふじ学徒隊について
東京在住の方は、是非ご覧になられたらいかがでしょうか。
必ず考えさせられる何かがあるはずです。

沖縄の一つの側面ですので、
こうしたことがあったという認識は必要なのかもしれません。
沖縄でも再度上映していただきたいものですね。



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